宝塚売布教会を紹介します。

○沿革

 

1968年4月、大阪西教会の伝道所として宝塚市売布3丁目で伝道開始しました。伝道師南茂昭夫が遣わされ、土曜学校と日曜夕拝を始めました。翌年4月より日曜学校と朝礼拝に改めたました。

 

1970年3月、近畿中会宝塚売布伝道所として発足しました。同年7月に宝塚市星の荘5−6に移転しました。

 

1971年4月、宝塚売布伝道教会を建設しました。教師試補南茂昭夫が主任者として就職し、1972年まで奉仕しました。

 

1973年3月、主任教師河田一雄が着任しました。

 

1974年7月現在地(宝塚市売布1−6−1、180.04㎡)を購入しました。

 

1976年9月、会堂と牧師館を建築し、1980年3月に階下多目的集会室および内装を完成しました。

 

1980年8月、教師河田一雄が辞任しました。

 

1981年1月、教師槌本和子が着任しました。

 

1978年5月から1985年1月まで中山台地区における主日午後の集会(月2回)をもちました。その後に四地区集会(売布、雲雀丘、逆瀬台、中山台)を月1回定期的を開きました。1982年10月には大会集中伝道を実施しました。

 

1986年4月、教会建設を果たし、「宝塚売布教会」と命名しました。教師槌本和子が牧師として就職し、長老が任職されました。また、この時、礼拝堂を拡張しました。1989年に執事を選出し教会形成の体制を整えることができました。

 

1984年満願寺霊園に墓地を購入し、1989年に墓碑を建立しました。

 

1993年7月、全ての人に開かれた教会を目指して礼拝堂を2階から1階に移し、牧師館を外部に持つことにしました。

 

1995年1月、「阪神・淡路大震災」に遭い、多少の被害を受けました。

 

1996年末、創立25年史を発刊しました。

 

2011年5月3日、教師鎌田雅丈が就職しました。

 

2017年9月22日、教師鎌田雅丈が54歳で逝去されました。

 

2019年4月、教師試補鈴木美津子が伝道師として就職しました。

 

2022年3月、教師試補鈴木美津子が辞任しました。

 

2023年4月、教師試補浅尾勝哉が伝道師として就職しました。

 

2023年12月、教師浅尾勝哉が牧師として就職しました。

 

 

○牧師紹介

 

浅尾 勝哉

1960年、兵庫県西宮市生まれ、大学を卒業するまで西宮市で過ごしました。その後、大阪に移り、56歳で召命を受け、自主退職し、関西学院大学神学部に編入し、2020年3月修士課程を終了しました。新宮教会に伝道師として2020年4月から2022年7月まで奉仕した後、2023年4月に宝塚売布教会に伝道師として派遣されました。同年11月に近畿中会の教師として任職されたことにより、あらためて宝塚売布教会より招聘を受け同年12月より牧師として奉仕しています。